11月も中旬になるいうのに九州場所初日というのにようやくけんか祭りの本宮や。(^^ゞ
今日は、神戸から三人やってくるいうことでとりあえず、わたしは、姫路駅にKさんを迎えにいって家からいっしょに歩いて妻鹿までいった。もうひとりの神戸から来るHさんはもうきとったった。ほんでいつものようにぶらぶら歩いておっちゃんとこに寄った。ほんでいつものように桟敷に運ぶもんは運んどいて宮にいくことに。
浜国南の桟敷、ちょっと逆光。
広畠から御旅所に向こて、オレンジのアングル組んであるとこがいっつものおっちゃんとこの桟敷。荷物置いたんで宮いってくるわということでおっちゃんに「とりあえず家に11時半ぐらいに戻ってこいよ」とゆわれていそいそと松原の村んなか入っていった。ほな中島でおうた、Yさんがもう前におった。中島でおうた時は妻鹿と反対のほうにいっきょったのに早いなぁ。(^^ゞ
いつもの時間やからいつものように妻鹿が宮入前。尤も去年は年番やったからおらんかったんやけどね。狭間は、「加藤清正 山路将監の血戦」ですか。
やっぱり妻鹿のまわりは人が多いように思う。
頭の向きからしてみんな獅子舞見とんねんな。このあと胴突きで出陣していった。久しぶりに神戸からきたABUはちのマスターが「やっぱり胴突きはひびいてくるね。」と感動。(^^ゞ
宮んなかはいってみよいうことでいっつものように搦め手からと思たら搦め手の門、でこなっとうがな。ちぃとは入りやすいようになったと思たけど結局出入りの流れの本数が増えてそないでもなか、はやけど複線よりも複々線のほうがトラフィック多いんやからましになっとうはず。
今年の年番は東っしゃま。ここは一の丸が黄色で二の丸が白になっとう。三の丸は赤。あとどっかの村が赤が一の丸で二の丸黄色、三の丸白いう村があったなぁ。
まだまだ楼門くぐらへんなぁ。(^^ゞ
いっつもは、東っしゃまのヤッサとあの梵天の特徴的な幟見ぃもって、本棒ぶっといなぁとか思てそのあたりおんねんけどきょうは、木場のヤッサをよう見てみよ。それに東っしゃまは来年ヤッサ新調やったなぁ。
幕綱が狭間の上にあってなんやようわからんけど、これが木庭山か。子供らぁが太鼓打っちょうけどあの早いテンポの木場の太鼓をうまいこと打ちょうなぁ。(^^ゞ
こっちの狭間は、新田義貞奮戦 藤島の場。
どこの位置の狭間かようわからんようになってもたけどこれは、赤松弾正氏範対長山遠江守奮戦の場
この狭間は、よう見るあれやね。神宮皇后 応神天皇平産の場。
金綱のうらはこないな感じできれいに結んであります。
高欄掛けもちょっと見とこか。木場は四面とも退治ものうちの村もやけどね。(^^ゞ これは、言わずと知れた、加藤清正虎退治。
鯉退治は弁慶のこまいころ西塔鬼若丸。
ありきたりの写真しかないなぁ。(^^ゞ やっぱ木場は菊水の紋。
露盤の前後は唐獅子牡丹なんやけどこれは阿なんか吽なんか。
左右は仁王さん。これも阿吽があるらしい。
斗組はこないな鬼がささえとうような意匠。
神輿屋根のヤッサの原型いうだけあって木場のヤッサはシンプルやけど各所にこだわりというかちょっとちゃうねんでいうんがあるなぁ。鏑が高欄にある伊達綱、手綱、乗り子の頭巾もちとほかの村とちゃう。勇ましいなかにもおしゃれやいうこっちゃね。
そないしょったら松原がいのきそうな感じ。
この狭間は八艘飛び。
露盤のこれは、もう放送であったんかいなぁ、平知盛が壇ノ浦で自決するとこやね。
八家が拝殿ひとまわりしてやってった。
ようやく妻鹿が楼門くぐってったんでそろそろおっちゃんとこに戻れるかな。(^^ゞ
棟の登るはしごの幅うまいこと水切りんとこの錺金具にかからんようにしてあんねんなぁ。
露盤下で見るよりでっこい。
胴突きでぶっとばんように露盤をボルトで固定して。
拝殿による妻鹿屋台。
竹内錺金具と砂川仏壇の現代の匠。こんな人らぁが祭り間ヤッサにずっとつきっぱなしなんやもんなぁ。
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。