姫路のもんは、「総社」「総社」というとんのやけど、はりまのくに総社 「射楯兵主神社」で今度三ツ山大祭という祭りがある。この祭りは20年にいっぺんという祭りでわたしは、今回の祭りで三回目ぇ。いっぺん目は、小学校の高学年の時、ほんでその次の三ツ山大祭の間に昭和の終わり頃に60年にいっぺんという一ツ山大祭いうんもあった。こんまい時はそもそもなんの祭りやようわからんと参加しよった。今回もまぁぜんぜんなんの意味があるんやようわからんままに20年にいっぺんというめずらしさだけでこどもらぁに説明してしもとったんでちょっと調べてみることに。
飾磨から姫路に向かう普通電車はアルミニュームカーの懐かしいプレートがついとった。
姫路駅で待っとったら三ツ山電車がやってった。
この前まで清盛がついとったんやけどなぁ。
ヘッドマークもほとんどの山陽の特急車両についとう。子午線の街明石号は別。(^^ゞ
正月あたりからこないな展示が歴博であるいうんは知っとった。なんでも伊和神社での祭礼が起源のようなことをABUはちのマスターから聞いとった。伊和神社いうたら播磨一宮で由緒ある神社。ほんま西行やないけどなにごとのおわしますようなそこにおるだけでぴしっとしてしまうような雰囲気の神社。山を挟んで東側の峰山のふもとにある分霊をうけた神社もちょっと伊和神社よりミニやけどそないな雰囲気の神社でよう高校の時、初詣にいっきょった。その神社が伊和神社の分霊やとはそないにしっとうもんがおらんみたいや、そのまま免許もないのにいっしょに乗せてってもろたもんのSA22Cで峰山高原ラスト4キロを攻めたりしよった。今みたいにドリフトのへんなんもおらんというか夜中そないなとこ走っとう車なんかおらん時代やった。
とりあえず中入って勉強や。
ふだんは役にたたんけどこないな美術館や博物館に入るんにJAFの会員証が役に立つ。500円のとこを100円割引。(^^ゞ
この企画展示の案内ブローシャ。
裏には展示内容がちょろんと載ってます。
こっちはこの企画展の8ページのパンフレット。今回は展示目録の刷本がのうてこれだけやという受付嬢の説明やった。
展示物の目録。前回、前々回の写真とか江戸時代のパンフとか絵画がおもな資料。目玉は最近みつかったという江戸時代の三ツ山大祭のパンフレット。おじいが生きとったときに一ツ山の話をきいたことがある。おじいは60年にいっぺんの一ツ山を人生で2回見れたことになる。なんでも城下町の各町で出しもんがあって通りの上のほうにくじらがおってなぁというのを聞いたことがあった。ほんでそないなもんあんのかいなぁと資料を探してみたらあった。そのじぶんは各町で趣向を凝らしていろんなもんをだしよったらしい。その中で勇魚捕を題材にしとうとこがあったがな。おじいの言うとったことはほんまやった。いまは総社のなかと三の丸だけやけどその当時は姫路あげて街全体がわぁわぁいうとったらしい。
このあと、三ツ山のとこぬけて祭りのコーナーによったら、造り山の説明があった。第一展示室で前もって造り山の種類の説明があんのでその実践編みたいなもん。第一展示室の説明では造り山には舁き山、まぁヤッサや神輿の種類や、曳山、これは地車か、置山、これが今回の三ツ山の山車のようなもん、それに船地車いうのにわけられるらしいですわ。三ツ山も昔は曳山やったらしい。
けっこう近所にいろんな造り山があるらしいですわ。
これがここ直近の500年ぐらいの三ツ山と一ツ山の行われた年。これ考えたら伊和神社の祭礼はもっともっと前からあったんとちゃうやろか。現に総社が射楯大神と兵主大神を祀る前は風土記に伊和大神を祀っとったとあるらしい。伊和大神は、兵主大神のことで、兵主大神は、大巳貴命のことらしいから大黒さん、いやこれは、まちがいでここは大国主命さんとちゃんと書いとこう。因幡の白兎の歌詞の大黒さんは大黒さんやのうて大国主命と大黒天を読みが似とういうことでごっちゃにしてもたいうことで。
伊和神社は造り山やのうてほんまもんの山をお祀りするようで、こっちは60年にいっぺんが三ツ山 20年にいっぺんが一ツ山で逆らしい。これは単純に山の上の祠を新調するんに大変やったからやないやろか。ほんで総社でやりだした時にそれやったらこっちは反対に20年ごとが三ツ山で60年ごとが一ツ山にして神さんによろこんでもらおと思たんか、伊和神社の三ツ山と一ツ山は共通ではのうて三ツ山の三山、白倉山、高畑山、花咲山で一ツ山が宮山の四山を祀るみたいやからなぁ。それとも姫路のこの祭りめざして観光客がくるけど一つ山やとちょっとしょぼいから20年にいっぺんのほうはこうなったんか。60年に一度の一ツ山やいうたら三ツ山より重みあるから霊験あらたかな感じでかえって三ツ山のにっぎゃかさとシナチクいやシナジーしとってバランスがええんかもね。
これは、今回の三ツ山大祭のパンフ。
こないな神事をするいうんが書いてある。
この「潮かきの儀」いうんがどうも気になる。このへんはなんぼなんでも海やなかったはずやし、播磨国一宮伊和神社は山の中。それでも供物には魚介類いうんがたいがいはある。この潮かきの儀についてなんの説明もないんやけどどないなもんやんやろ。
まだでっきょう最中の三ツ山。足場組んどんのが小袖山。二色山と五色山は足場外してあるけど飾り付けまだまだなんやけどなぁ。
小袖山のアップ。作業しよっての人がおってです。
一応最初にサークル引いてここに建てるいうんを決めてあんのやろな。当たり前やけど。(^^ゞ
五色山、いっちゃん上の山上殿もまだです。
最後、いっちゃん下には紅白の幕が巻かれとったと思う。
ようみたらてっぺんに山上殿の枠らしきもんもあんのや。
二色山と五色山の間に参道が。40年前のときはこの場所やのうて境内やったような気ぃがすんのやけどなぁ。20年前の写真みたらこの場所やしなぁ。40年前はたしかひめじ祭りの時にお化け屋敷や見世もん小屋がおったとこに建っとったように思うねんけどなぁ。門上殿にのぼるスロープもあったように思うんやけど20年前の写真にはそないなもんがないようやし。
山門から電電公社に向けて(南東に向こてます)
ちゃんと工事中の看板がかけてます。
総社の社務所の上にも看板が。ここの神職の人、外国人相手に英語ペラペラやもんなぁ。(^^ゞ ここで、村のもんに遭遇、息子さんたちとこられてました。ほんでわたしも神さんに挨拶してから帰ることに。
4月1日に中央体育館で興行があんねん。31日はお伊勢さんで土俵入りがあるみたいやからこの日に街をうろついてもお相撲さんはみれんか。なんとか午前中だけでも休みとって土俵入り見てみたいなぁ。興行のほうは、見ぃにいこかいなと正月ぐらいから思とったけど本割りとちゃうしな、やっぱやめた、営業会議やしね。(^^ゞ
やっぱり相撲協会の幟がたっとうわ。
だいぶ前にでけた門やけどなんかいまだに違和感ある。(^^ゞ
まぁここまできたらお城も撮っとかんとね。
今晩は、久々に「南里飯店」写真は餃子一個食たあと。一人前10個400円
酢豚の写真撮るん忘れて食いまくっとった。(^^ゞ 総社から帰ったら嫁が「せっかく今日休みだったから「拝啓」行けばよかったねぇ、気が付かなかった。」とか言いよったけど、晩に「南里飯店」行く気マンマンやったやん。そないな日ぃに「拝啓」いってニー・サン食とれるかい。(^^ゞ ほんまは朝からどないしょうかとは思とったんやけどね。歴博行こおもて「拝啓」の前通ったときは売り切れ閉店やったんは確認したんで納得でけたけどね。
ほんま久しぶりにやってったなぁ。今年最初かもね。
でっ、日っちょう日、参道の南のほうからやったら三ツ山の全景撮れるんやないのと思てもっぺん行ってみた。やっぱでこすぎて無理やった。(^^ゞ
南のほうからの小袖山
アップで見たらこないな感じ。
縁起が書いてあんのやけどやっぱ「大国主命」と「大黒天」はちゃうと思うで。(^^ゞ
式年祭の一週間は、えらい人なんやろなぁ。
年間の祭礼をまとめてある。
霜月大祭、姫路のもんにはひめじ祭りいうたほうが通りがええかな。それにも潮かきの儀がある。やっぱ播州の祭りで神輿担くんには、潮かきは必須なんか。去年の灘の年番、東っしゃまも山の神社で潮かきの儀、しょったもんなぁ。
土曜日の「城の日ぃ」も挟んどうしえらいことになんのやろなぁ。(^^ゞ はやけど行くで~。(^^ゞ
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