7月のいつやったか、義母が、突然入院した、こっちとしては、めちゃ元気なイメージしかなかったんやけど、医者の見立てやと余命一ヶ月ということで、とりあえず、嫁がこの世で会う最後やと覚悟して、福島県郡山に新幹線で見舞いに行った。行って見舞うんにも、やれPCR検査受けてその結果もってこいとかすったもんだあったけど、結局PCR検査とやらは、現地で受けられるこちになってそのまま行った、帰ってってから様子聞いたら思たより元気そうやったんやけど、万一の準備を全部して戻ってきたらしい、嫁が、おらん時に、普段なんもせん、宮様と中学高校の先生からゆわれとった上の娘が、メシの支度をしてくれたんにはちょっと感動、シチュエーションが人を成長さすねんなぁと思た。8月の1日、朝一の散髪の予約入れとったんで6時ぐらいに起きとったんやけど、嫁の電話が鳴って嫁も起きてった、どうも、義母の血圧が低下してって危篤状態らしい、「行くんやったら行ってこいよ」というたんやけど、いやもういいということで、こっちとしては、親父のときのこともあって、血圧持ち直すかもしれんしなぁと、刹那的ななぐさめいうてもた、とりあえず散髪行って、こっちもかかりつけの病院行ってから帰ってくるわと出かけた、薬局寄って薬もろて帰ろとしたら嫁からの電話、いやな予感がしたらそのとおり、あっという間に逝ってしもたらしい、とりあえず家に帰ると、昼から郡山に向かいたいということやったんで、いろんな予定をキャンセルする電話を開始した、2日に神戸マツダに点検の予約入れとったけど一週間のばしてもろて、3日に姫路の日赤でCTの造影検査を受ける予定になっとったんもキャンセルしよとしたら、郡山から、葬儀の日程の連絡があって、友引の関係で4日お通夜、5日告別式になったということやった、ので、日赤の予約いのかしたらめっちゃややこしそうやったんで、今から郡山まで送って、明日の2日日っちょう日にいったん姫路にわたしだけ戻ってくることにした、それやと、3日、日赤は昼やから、朝の姫路の営業会議に出て日赤行って、夕方は、神戸の営業会議に出てそのまんま、郡山にとんぼ返りできるなぁとその作戦で行くことにした。1日、昼からでるいうことやって、わたしとしては、なるたけ早よ出発したかったんやけど、なんと今から喪服買うてくるということで、夕方出発やなとあきらめた、どう考えても、9時間ちょっとかかるから、翌日姫路となるとなるたけ休む時間がほしかったんやけどなぁ、それやったらとわたしは、やり残した仕事しぃに姫路の会社に行って1時間半ほど仕事してった、結局、家を出たんが3時半、郡山になんとか、翌日の2時前に着いたぞ、とりあえず、斎場には、朝行くことにして嫁の実家で寝た。翌朝、斎場に行って、安置してある義母に挨拶して、10時半ごろ姫路に向こた、とりあえずできるだけ休憩はせんとひたすら走りたいんやけど、いっつもの給油する上りの小矢部川SAのレストランが改装工事らしく、その手前の有磯海いうとこで夕食食うことにした、信州そばとかいうんを食たんやけど、なんじゃこれそのへんのスーパーでうっとうゆで麺やんけみたいな蕎麦でただ腹満たしただけやったガスは、ここで入れると給油一回で高速降りるまでもたんかもしれんので、ガスは小矢部川SAで入れることにして本線に戻った、けど、この軽四で郡山行きやったことないんで、燃費がようわからん、行きは、姫路で満タン、予定通り、小矢部川SAで給油したけど磐越自動車道に入る時にちょっと不安になって黒崎SAでも満タンにした、帰りは重量も軽なっとうし、燃費ちぃとはましかいなと思たんやけど、有磯海SAでてちょっとましたら、エンプティの警告ランプが点いたやん、うっそーと思いながら、ランプついてから何リッター残っとんのやろと思いながら小矢部川SAまでの60キロ、ビビリもって燃費走行した、3リッターのこっとったらどないかもつんやけどなぁ、ダッシュボードのマニュアルみたら、燃料タンク30リッターも入らんやんなんと27リッターやん、行きしに小矢部川SAで入れたとき23リッターぐらいはいっとったぞ、冷や汗たらたらで、上り小矢部川に到着、もし舞鶴若狭道に入るまでに心配やともういっぺん給油かぁと思とったけどなんとか姫路までもちそう、とりあえず姫路まで8時までに帰ってこれた。
3日、朝、車で姫路の会社に出勤、まさか姫路に帰っとうとは思てないから、会社のもんちょっとびっくりしとった、けど、営業会議が終わってちょっと間仕事して、日赤に行った、日赤で時間かかったら、神戸の営業会議はカンベンしてもろて、そのまま行こと思とったけど、日赤が予定時間より早よ見てくれたんでそっから家に戻る余裕もでけて、神戸にも早よ着いた、一往復目は、播但→中国吉川JCT→舞鶴若狭→北陸→磐越やったんやけど、今回の行きは、名神米原から北陸道に入ることにした、神戸の営業会議も早よ終わったんで6時半には神戸を出発でけた、なんとか明け方までには郡山に着けるかな、やっぱ、高速道路、名神は走りやすいわ、自動車専用道とちょっとちゃうでぇいう感じかなぁ、小矢部川SAで、行きに家族がうまそうに食とったたぬきおろし蕎麦いうんと、ミニカレーを食たんやけど、たぬきの揚げ玉はいらんなぁ(^^ゞ カレーが妙にうまかった、今度からここでは、カレー食おっと、そのまま新潟まで走ったんやけど、なんと、長岡で道間違ごうて、北陸から関越道に入ってもたいっちゃん近いIC小千谷いうとこで出たんやけど、逆車線の乗り口がわからん、夜中の1時ぐらいでそないに車通らんのやけど、ラッキー?なことに、一台やってったんで、めっちゃ、不審な動きして、停車してもろて道教せてもろた、どうやら、このままICに入ったら中で上りと下りに別れとうらしい、こないな夜中にどないしょ思たで、今回もズボラかまして地図積んでこんかったんがたたったなぁ、なんか十年ぐらい前も長岡で道間違えたことあった、24キロほど無駄に走ってもた、やっぱ心配やったんで、黒崎SAでもういっぺん給油、磐越に入った、丑三つ時になると、磐越も車走ってない、会津のとこらはガスっとうし、ちとこわい(^^ゞ、なんとか4時前に斎場についたぞ、ピンポンして入ってってと、言うとったけど、時間が時間やったんで斎場の駐車場で車のなかで寝た、東北は関西とちごて、朝晩クーラーがいらんぐらい涼しいんで車中締め切って寝ても快適やった、お葬式もすんで、姫路に帰ることに、コロナのおかげで親戚含め弔問客が、少なかったんで3時過ぎには出発でけた、娘らぁもおっきなったんで、そないに休憩とらんでもえんから、ほぼ、わたしのロングランペースで走れた、磐越に入って会津ぐらいで、覆面パトカーが後ろにおったんはびっくりした、前の速い車についていっとって、対面通行から追い抜き車線がでてったとこやったから、前に集中しすぎとったからなぁ、なんか言いたそうに横につけたけどそのまんま追い抜いていった、あぶないあぶない、15年ぐらい前に、親不知トンネルのなかで捕まったことあんねんなぁ、わざわざ、怪しそうなスカイラインやと思て横に並んで、ヘルメットかぶってないから大丈夫やと、確認して追い抜いたらソイツが覆面やったんよね、それからは、トンネル内ではおとなしいにしてます(^^ゞ なんとか姫路に1時過ぎについて、明日の食料を24時間営業のスーパーで買い込んで2時までに家に戻れた、結局オドメーターBは、3,500キロ弱を指しとった、ちょっとしんどかったけど、まだまだロングドライブ行けるかもね(^^ゞ
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