本日、大鳴らしです。今朝も昨日同様、下野田の乗り子の方が電車待ちの間にやってこられました。やったい仕上がったそうです。下野田さんの新調された御蔵は背ぇが高いので露盤と擬宝珠をつけたまま収納できるんですかと聞くとそれができひんらしいです。傍目から見とったら、入るもんやとばかり思てましたが、なんでも扉が一枚板であれ以上大きい木でつくれんかったらしいです。露盤・擬宝珠つけたまま出入りできたら雨の日も御蔵のなかでカッパ着せられるのなぁ。明日天気わるそうやからそんなことばっかり考えてしまいます。
さっき左足のひざのことで病院行ってきました。
レントゲン撮って看てもらいましたがいつものようにきれいなぶっといがんじょうそうな骨でした。いろんなとっからこでて看てもらいましたが半月板ちゅうのがいかれとんちゃうかいうことです。念のため血ぃが溜まっとらあかんということで注射器が用意されて針つっこまれました。膝の水ぬくんはいたいで~言うてよく水ぬいとう子にきいとったんですが、ほんま痛かったです。一応男なんで泣きはせんけど気がついたら「うお~」言いながら顔ゆがんでました。結局、血は溜まってなかったらしく注射器きれいなままでした。針ぬかれてからドキドキしながら注射器盗み見したれと見ましたが、なんも入ってませんでした。「血は溜まってませんね。これから溜まることもあるのでなんかあったら来てください。」いうことですが、もう行きとうないです。(>_<)
医薬分業とかでうっとうしいけど病院出て近所の薬局に行きました。前にいっぺんいったことあったのですが、その横のきむらの酒屋に間違えて入って行きそうになりました。入ったら15分待ちとか表示がでてましたが、結構早くに薬でてきました。私の前のオバハンは、さっき病院の会計のとこに文句言うて順番抜かしして金はろってったオバハンでした。薬局でもなんかボロクソ文句いいながら「わたし、すぐ頭に血がのぼるほうやから」と論拠のないイントロデュースをしながら去っていきました。
なんか朝昼晩メシ30分以内に飲めいう痛み止めとその痛み止めどないに劇薬かしらんけどそれであれてまう胃のための胃薬7日分、24時間も効くいうシップ薬をもらって会社にもどってきました。1時間半しごとでした。やっぱ病院は行きとうないのう。(>_<)
昨日は、飾磨が本宮いうこともあって、何人かいっとったようですが、高欄掛けもつけなあかんしで忙しかったです。高欄のとこの男柱に阿吽の龍がおるんですがそこにLED付けるいうことで作業しました。屋根や狭間、露盤の照明をLEDにという話しは毎回でるんですが、豆球みたいにプラスマイナスどないでもつくいうもんやないらしくプラスマイナスの配線もちゃんとせんと点かんので結構神経使います。それに電球色のLEDは割高です。照射角も狭いのから120度くらいまでとまた値段が変わってくるらしいです。まぁ付けた感じどないなるかわからんのでとりあえず実験的に男柱の龍の目ん玉を光らすことにしました。前から口についとう豆球ははずすつもりやったんですがそれもおいとこいうことになり配線もちょっとむずかしなりましたが、さすが相棒なんなくこなして付けてしまいました。夜バッテリー積むときにちゃんとプラスマイナスを決めてコンセントに差してもらうということになりコンセントのプラグにプラスの赤印をつけました。電気通すとこんな感じでピッシャーと光って写真ではようわかりません。(>_<)
やったいの前の照明だけブースターでつないでつけたとこですが、男柱のとこだけ白っぽく光っとんがわかりますか?。
きょうせっかく高欄掛けつけたんで高欄の意匠の説明でも。
うちのは、ぜんぶ退治もんで前に「藤原保昌の蜘蛛退治」後ろに「渡辺の綱の羅生門の鬼退治」右は、「加藤清正の朝鮮出兵の虎退治」左に「源義家の龍退治」です。
やったい正面の「蜘蛛退治」
後ろの「鬼退治」は、渡辺の綱いうことで、露盤の後ろの源の頼光の酒呑童子退治があるから頼光四天王の一人の渡辺の綱がきとんかなぁ。
まず水引幕を前から見たとこやけど、
向かって左側、つまりやったいの右に「虎」向かって右側、これもやったいから言うたら左に「龍」です。高欄も右側が、「虎退治」
左側「龍退治」でけんかせんようになっとんかも知れません。
ザ祭り屋台in姫路に出たときに山陽電車についとったヘッドマークです。もらえたので公民館に飾ってあります。電車の前につけるんに台座が電車の前の曲面におうとんので公民館の壁にまっすぐつけるんに木で台座つくったりでけっこう手がかかりました。
いっぺん撮っとかんなん思てとったんですが、大先輩のMさんが言うてのように正面から撮ったらカップ麺の上みたいになってしまいました。撮ったあとMさんに「見せてみ、ほら、ラーメンみたいやろ。」といわれてしまった。(>_<)「祭りラーメン中島味」ですわ。ので、ちょっとサイドに回ってとってみたけどたいして、、、(^^ゞ
日付が「5月20日」になっとうけどほんまは雨で一日延びたから姫路行ったんは21日です。
その横に先代のやったいの古い道中写真があります。知っとう人に聞くと今のラムーのへんらしいです。あぜ道いっきょんのか足場を神手竹でつくったっとうけどそんなもんの足場でやったいかけんで~(^.^)神手も折り方が今と折り方が違いますねぇ。今こんなんもっとたら、もっとしっかりおらんかぇ言われそうです。(^^ゞ
今朝の御蔵です。もう帰る頃には笹が立って水引もついとう思います。
年賀状は100種以上から選べるHPグラフィックへ
12月1日まで早割あります。
蜘蛛退治は源頼光とちがいますか?仕事が手に付かない(-_-
投稿情報: orange | 2008/10/15 19:46
orangeさん>
ここに載ってました。
http://www.eonet.ne.jp/~mangosteen/tutigumo/tutigumo.html
頼光が命令して、平井保昌と渡辺綱が退治したみたいですね。
うちのやったいは、頼光とその家来がよく活躍してるみたいですね。(^^ゞ
投稿情報: ガン | 2008/10/16 08:51
保昌ちゅう人は紫式部のために御所の紫宸殿の紅梅を手折って恋実らせた花ぬすびとらしいですな。祇園祭で緋絨(ひおどし)の鎧着た人形の保昌山みたいですが、中島の高欄掛けのなかではいっちゃん渋めやね。
ひざはどないですか?
投稿情報: orange | 2008/10/16 15:23
orangeさん>
この平井(藤原)保昌いうオッサンは和泉式部の再婚相手なんですね。
まだ、中学生の頃ラブレターに百人一首の和泉式部の歌
あらざらん この世のほかの思い出に
今一度の逢うこともがな
を折り込んで送ったことがあったの思い出しました。(はすかしい(>_<))
このころの都の魑魅魍魎たちの話しとかなんか興味わいてきました。今昔物語も一冊だけどっかにあったように思います。
マイナー(私の中ではメジャーなんやけど)な 福永武彦の「風のかたみ」なんか読み返してみたくなりました。
投稿情報: ガン | 2008/10/16 19:48