昨日NHKの歌番組見とったら布施明がワンダフルワールドやったっけサッチモの曲歌ととった。その中のサビの部分に「シェイクハンド」に「ハウアーユー」いうのんは、「愛してる」という意味やという件があんねんけど、姫路弁やと「おう、どないしょんどいダボ」というのは「おまえのこと想とんねんでぇ」ということになるんか、アメリカ語はむつかしいてようわからん。空気読めんヤツやったら生きていけそうにないなぁ。(^^ゞ
今年の初めに淡路の松田の工房に修理にだしとったのを三月に持って帰ってきました。そんでそのあと漆と箔をぬらなあかん露盤はまた仏壇屋にでてましたので、いつもの電飾がない素の露盤と狭間見ることができました。フラッシュ焚かんとよう撮らんかったんでほんまの色とちゃうんやけど紹介していきます。
まず露盤から、これはフラッシュなしで撮ったからけっこう実物に色ちかいと思います。でもピンぼけ(>_<)
たぶん擬宝珠ここしかでてくるとこないと思うので、ザ・擬宝珠です。手前の露盤と擬宝珠は中屋台のです。
露盤前です。いつものようにと言うか牛若丸の鞍馬山での修行です。牛若丸の木刀も漆ぬられて帰ってきました。
こっちは左、やったいが蔵に納まっとったら東の方です。この左右の側面をいままで勘違いしてました。以前のブログでも間違ごうたまま書いとってはずかしいです。(^^ゞ白馬に乗っとんは手塚太郎光盛で滋藤の弓持っとんのが斎藤別当実盛。いままで弓が折れとって槍もっとったから、白馬に乗っとんのが木曽義仲で応戦しとんのはワンノムゼンかと思てました。弓もっとったらなんか坂東武士いう感じでなんとのうわかったんやろけどね。
こっちが右側、西の側面です。これがほんまの木曽義仲。前まで馬に乗っとんのが手塚太郎で左のやられとんのが斎藤別当やと思てました。どっちも髪の毛白ないんやもん。尤も白髪染めて出陣したんやから戦こうとう時は黒髪か。(>_<) ということは、巴御前は東の狭間なので左右に別れておったのね。
後ろは、言わずと知れた源頼光、酒呑童子退治。この鬼恐いしこのピンクが目だつんよね。やったいには鬼がもう一匹います。今回は出てこんけど高欄掛けの後ろも頼光の家来、渡辺綱の鬼退治です。まてよぉ、一応露盤は頼光いうことになっとうけど綱の酒呑童子退治にはおったんやから綱かもしれんなぁ。そんなら百人一首の文屋康秀、朝康が同一人物かもしれんいうようなミステリーもでてきておもろいんやけどなぁ、でも作者がいうとんやから頼光なんやろね。(^^ゞ
フラッシュなしの酒呑童子退治。
次は狭間
今回は、箱から出して電飾付けた順番なんで後ろの安宅の関から。
疑いを晴らすために弁慶が大芝居うっちょうとこです。ということはもうすでに勧進帳はそらで読んでもとうことになりますね。
義経どんな顔なんか見てみよおもて近づきました。
がっ、顔はなかった。(^^ゞ
狭間のどれが一番好きかと聞かれたらまよわずこれ。生田の森、梶原景季箙の梅。やったいの右側面、西のほうです。
このおっさんが景季。宇治川の先陣争いで佐々木高綱にちゃちゃいれられて負けてもたんでここぞとばかりに一人奮戦してます。
これが、箙に差した梅ですね。
オヤジの景時、息子を助けるためもっぺん第一線にもどったという梶原の二度駆け。
さすが坂東武者、強いです。むこうでこけとうオッサンは村では通称「やめてのおっさん」と呼ばれてます。(呼んどんのは、わたしらだけか(>_<))
正面からみたところ、左のおっさんが「やめてのおっさん」です。
次は前の本能寺の変、これだけちょっと時代がちゃうんよね。
信長とおぼしきオッサン
槍で奮戦する森蘭丸
蘭丸の左のほうの御簾の房、いままで陣幕のしぼっとう房やと思てました。というのも折れてのうなってもとったからね。(^^ゞ
やられとうおっさんやけどみごとに彫ってあるなぁ。
これは、左側面、東っかわの巴御前。あんまり好きくないので写真ちょろっとです。(^^ゞ
馬の目の血走りすごいなぁ。
ここで露盤、狭間、今回写真はないけど高欄掛けに水引幕、見ていくとなんか法則があるようなないような、、、。
まず第一に、露盤前は鞍馬で修行中の牛若丸、後ろの狭間は勧進帳で弁慶にどつかれとる義経。露盤左側面は手塚太郎光盛と主人公の斎藤別当実盛は坂東武者、そのとい面の右側面、西の狭間は梶原景季で両者とも坂東武者。露盤の右側面西側は、木曽義仲で左側面東っかわの狭間は巴御前で二人はええ仲。最後はもうこじつけになるけど、露盤の後ろは酒呑童子退治で場所は一応京都ということにして、前の狭間はこれまた本能寺で京都。
第二に、高欄掛けの後ろの鬼退治はもともと前に掛けとったらしい。はやけど蜘蛛退治はめずらしい意匠やからいうことで蜘蛛を前にもってきたいう経緯があるらしいけど、さっきから何度もでてくる露盤後ろは酒呑童子退治で今現在の高欄掛け後ろは鬼退治、水引幕の右側面は虎で、右側面の高欄掛けは虎退治。水引幕左側面は右が虎やから当然龍がおる。そんでもって左の高欄掛けは龍退治。前の高欄掛けの蜘蛛退治はなんの脈絡もないように思えるけど、こじつけるなら露盤後ろの頼光が熱で寝込んどう時におそてった蜘蛛を頼光四天王が退治したことになっとう。うーんっ、どことってもなんかつながっていくんよね。
それに、御蔵に一番最初に入っていくとこの戸はいうたら鬼門やから、御蔵のなかでは露盤つけんけど、露盤も後ろ北側が鬼、高欄も鬼で幅きかしとってええかもです。
中島の夜は更けていきます。(^^ゞ
簡単・便利な印刷は、HPグラフィック
挟間、梶原景季は箙の梅で{春}東側のはずです。
青竜:東=春=青
朱雀:南=夏=赤
白虎:西=秋=白
玄武:北=冬=黒・緑
で高欄掛けも西が加藤清正で虎ですよね。
投稿情報: orange | 2009/11/27 09:56
orangeさん>
なぜか、梅の景季、西なんですわ。
なるほどね、春夏秋冬もあるんですね。
投稿情報: ガン | 2009/11/27 21:27
なんでだろ~?北脇も同じ場面同じ位置なんかな、見てみた~い!
投稿情報: orange | 2009/11/27 23:42
orangeさん>
こんなん見つけました。
http://www2.117.ne.jp/~t-enya/kitawaki-yatai.html
左右は、やったいに向かって言うとんのか
やったい基準でいうとんのんかようわからんので
微妙ですね。
やったい基準やったら今の中島と逆になりますよね。
投稿情報: ガン | 2009/11/28 12:45
http://prosv8.tok2.com/~harima/oosio/maturi.htmの●屋台宮入りで北脇のとこ見たら御幣の前に獅子で、高欄掛け右「鯉退治」が見えてるから右「巴御前奮戦」はウチで御蔵収めた時の西ですな!中島は何故、先代から東西入れかえたんでしょうか?
投稿情報: orange | 2009/11/28 20:14