ロータス76は、またまた苦手なデカール貼りやったんでまたのちほど。ということでタイレルP34。下の二台がセットになっとんのは、実戦投入した76年のスウェーデングランプリの1.2フィニッシュモデル。
あとにも先にもワンツーはここだけやったと思う。ツースリーはあったような気がするが。記憶だけで話しせんとちゃんと調べんとあかんわなぁ(^^ゞ(ちょっと調べてみたらツースリーもこの年のモナコだけでほかはどっちかが上位でどっちかがリタイアあとは鳴かず飛ばずというような感じ)このワンツーフィニッシュは当時の少年ジャンプに連載されとったサーキットの狼にでてくる。
こっちは、76年に行われた。日本初のフォーミュラワン世界選手権「F-1GPinJAPAN」のシェクターとデパイユのタイレル。コーナリング時にタイヤの向きを確認するためのぞき窓があいとうけど反対に外から見られとういう気がするいうてドライバーからは不評やったらしい。まぁ写真見てその頃よう親友のI上と「あそこ掻いとったらまるわかりやなぁ」とか話しとった。ロータス18のスターリングモスなんかは、「暑い」いう理由でサイドパネルはずして走っとったりすんねんけどなぁ(^^ゞ
リアウイングがシェクター車とデパイユ車ではちゃうかったんやなぁ。こん時パトリック・デパイユは二位にジョディー・シェクターはリタイヤ。はやけどこの3年後にジョディー・シェクターはスクーデリアフェラーリでワールドチャンピオンに。パトリック・デパイユはアクシデントでもうこの世におらんかった。あのビートたけしのような「このヤロ!」というような顔が懐かしい。と思とんのはわたしだけやろなぁ(^^ゞそういうたらN君はデパイユのヘルメットのカラーリングで単車乗っとったなぁ。なんでも適当に本見て一日でカラーリングしたいうとったからたいしたもんです。
Tyrrellは、日本語やったらやっぱ、たいれるやろ。(^^ゞ なんで最初からタイレルで日本には伝わったんかなぁ。このころすでにビル大友さんは、ティレルが正しいんですよ。とオートスポーツやったかオートテクニックやったかで書いとったったからレース通は知っとったはずなんやけどなぁ。ホンダの中さんや「ホンダがレースに復帰(カンバック)する時」の高齋正さんもその本でなんか書かれとったような気がする。(^^ゞ
76年の日本GP仕様なんでレインタイヤ。
迫りすぎて後ろピンぼけやけどええアングルなんでオマケ(^^ゞ
月っちょう日の食卓。日っちょう日に大津に行った時にハトヤのかまぼこ買うてもろてそれがのっとうから月っちょうやと思う。わさび練りすぎてようけ食てもて舌がびりびりになってもた(^^ゞ
なのでこのお城は、火曜日のはず(なんという長~いっ前振り(^^ゞ)、まだ今日よりなんもなってなかった様子。職人さんは祝日とか関係ないやろから、昨日けっこう進んで最初の写真のとこまでいったんかなぁ(^^ゞ
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