日っちょう日のなみはや亭は、桂春団治の若い時の「皿屋敷」やった。なんでも昭和45年1970年の万博の時の収録らしい。40歳の時やいうとったからどないに今とちごて若々しいんやろと思て聞いたらそないに今と変わらんかった。ということは、三代目春団治は、ぜんぜん衰えをしらん噺家ということか。去年はちょっとキレがのうなっとったようにおもたけどなみはや亭の皿屋敷と三年前に大倉山で聞いた皿屋敷とほとんどテンポがかわらんぞ。すごいなぁ。ちょっと前に仁鶴の延陽伯をやっとったけどぜんぜん若い頃のあのパンパンパンと言葉が鉄砲みたいにでてくるあのテンポやのうてちょっとさみしかった。けど春団治はちゃう。三年前のあの皿屋敷はほんますーっと引き込まれてしもた。いっしょに行ったIさんと「あの薬指のハデな指輪みたかぁ。あら絶対若い女がおんねんで、噺のツヤがちゃうもんなぁ。」と話しとった。そやから去年は「キレがちょっとないなぁ。若いのんにフられたんかなぁ。」ということに落ち着いた。なみはや亭はいっときちょっとだけ長なったけど今は前とおんなじ30分やからしょうもない枕ともつかんのが始まる噺家やと本題が短こなってもてどもならんけど、春団治はいらんこといわんとすっと羽織脱いで入っていくから聴きごたえがあった。最初から最後まで30分間皿屋敷。いっつもは短かなったら誰それのインタビューとかぜんぜん噺に関係のないことがあったりするけどそないなんはいらんねんなぁ。でっ、皿屋敷いうことでまだ姫路のお城のおまけです。(^^ゞ 天守閣の中もちょっとは入れるみたいで入って見ることにした。
普通に登閣口のほうから入んねんけどいっつもとちゃうのんは、交互通行になってもとうから入る時間と出る時間があるいうこと。ちょっと待たんとはいれんのよ。
普通に水四門のとこから入って
ちょっと間ぁ待つことになった。
こっちは「天空の白鷺」の方の待合いスロープが見えてます。
いっつものように入るけど、乾の小天守のなかをいっつもと反対方向に入っていきます。
いっつもやったらこの方向に出て来ます。雨やしそないに人がおらんとええ感じです。(^^ゞ できたら裸足でちょんながけの床板を歩きたい。砂の上を歩いとうような感覚になる。よう時代劇でたいらな板に座って昔の人は痛たなかったんかとおもうけどちょんながけのとこやったら長時間座っとけると思う。
いっつもやったら下りてくる階段を上っていきます。こなして見たらめちゃ急やなぁ。
ほんまやったらお城見学の最後のほうにある天守閣の模型。
特徴が書いてあんので覚えとかんとと思て写真撮ってみたけどさぁっぱり。(^^ゞ
普通に釘隠。
複雑そうにみえるけど普通に閂がかかってます。
これは、西から見た俯瞰図。
これは、普通に北が上の俯瞰図。三の丸とかは昔こないやったんやね。
そのまんま丸太。うちもリフォームするとき、仏間の梁がこないに丸太やった。その横に新しい階段つけることになっとったからその丸太けずらんと階段がつかんかった。のでその部分だけ階段せまなってます。(^^ゞ
普段撮らんようなとこようけ撮ったった。(^^ゞ
これは、あの二階に見えて実は三階のとこかな。姫路城は五畳楼閣とか頼山陽が歌よんどうけどほんまは、地下1階地上六階の建てもん。
屋根の梁の上、スプリンクラーがあります。こないなとこも普段は見んなぁ。
こっちは東のほう、との四門のとこ。普段やったら裏から入れていっちゃん天守閣に近い入り口搦め手門。
そのあたりに工事用のエレベーターが設置されてます。プレハブの中身はこないになっとった。水タンクとかもあんねんあぁ。
もっぺん西にもどって百間廊下。むこうに見えとう山は、景福寺の裏山。
天空の白鷺から見て話題にしとった「にの門」低い位置から。
天守閣の地下部分。
普通に水五門から下城すんねんけど、こっから普段は行かんような水三門とか通って普段とは逆に出口に向こていきます。またまたつづく。
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