今日4月1日、いつ開店するのかをたのしみにしていた飲食店がついに開店します。と書くと、開店の日をいまかいまかと待っていたみたいですがもっと大きな視点で開店をまっていたのです。
この方が最初店を始めたのが震災前、何年だったか忘れましたがまだうちの会社が、元町にいた頃だと思う。しかも場所は、またへんぴな場所で夜になるとポートタワーが真正面から見える筋(といえば神戸っ子はわかるかな。わたしは姫路っ子ですが。)のしかも地下。わたしのしるかぎりでも、串カツ屋・うなぎ屋といずれも短命で終わった店ばかり、一年ももったのみたことない。そこと聞いて心配したこともある。けどその店は震災をはさんで長い間みんなに愛された。震災さえなければって思うが震災後客が減ったのだろう。ついに閉店してしまいました。マスターとは、個人的にもいろいろつきあいがあって今なにしてる?というようなことも絶えず情報が入ってきてました。あの閉店からいろいろな職場で働いてらっしゃいました。それでもまた、どこかで店を開いてくれるという期待がみんなあったのです。だから、前の閉店からいつ今度開店するかその待ち望んだ日がやっと来た。ということです。
今日は、さけの焼いたのと高野豆腐の玉子とじとなんきんアテのちりめんじゃこです。「きょうのアワ」は結構いいたちかたです。上のもこっとなった部分がよけいですが下の角張ったとこまでならいいんですけど、、、。べつにアワなんてふたの役目するだけでのんでしまうわけではないのにね。(>_<)
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この日のコメント
いや、まだ復興というより、まだまだ神戸はあかんというたほうがええのか、もうあかんがあたっとうやろね。昨年も倒産・廃業がたくさんありましたが今年もあるやろね。震災後、建物のまばらな繁華街を歩いて こんなちんけな小さい街やったんやなぁ。って思い知らされました。
この震災の教訓 こんな地震が来て神戸の街が終わってしまうということは東海大地震や東京大震災とか予測されてる大地震がおこったら日本がおわってしまうということがよく身をもってわかりました。
いつどこでやってくるかわからんもんに対して予測だのなんだのやってますが、実際、震災経験しとったらわけのわからん科学者に対して「運がよかったらの。」とか「おまえがくたばってなかったらええけどな。」という言葉しかでてきません。よく震災を想定して市役所に集合とかやってますけど市役所がありゃええけどなってとこです。それに予測しても「今週1週間の間に地震が起こります。」とかいう予測を聞いて一週間も仕事おっぽりだして逃げるやつおらんやろ。ってことですわ。(^_^)
自分の立っている地面が突然ゆれてくずれるほど怖いこと以上のことはいままで経験したことがありません。
Posted by:ガン at 2008年04月02日(水) 15:13
神戸界隈のお店は本当に震災のせいで今でも大変な状況ですよね。
学生の頃は神戸港で日雇いバイトで日銭をもらいその日のうちに神戸で使い切って姫路に帰るという
おバカなことをしていました。
震災のあった1月17日も新年初めてのバイトの日でした。
6時頃に起きて行ってましたのであの強烈な揺れで「良い目覚ましになった」と思っていたのですが
いざTVをつけてみると神戸がえらいことになっていました。
JRも山電も動いてなかったんで「遅れます」という電話を入れようとしたのですがTVから見える映像、
仕事場が浸水していました。
もちろん電話は繋がらず「どうしよう・・・」と途方に暮れたのを覚えています。
表向き復興はしたのですがまだまだ苦しんでる方がたくさんいらっしゃいます。
楽しい思い出をいっぱいくれた神戸ですがまだまだ恩返しができていない気がします。
まだまだ元気な神戸はこんな物ではないと思っていますのでぜひ頑張って頂きたいです。
所詮姫路市民ではございますが・・・。
Posted by:こじお at 2008年04月02日(水) 14:04
コメント
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