土曜日、いつものようにabuはち行きました。先客は、いつものダブルオーさんでした。この前お会いした時ものりのりでこっちもべろべろで、ひょうきんな写真撮らせていただいたのですが、ちょっとブログでは紹介すんのにはちょっと細工せんとあかんのでまだストックしてます。まだ、仕込み時計バックルの時のほうが写真扱いやすかった。(^^ゞ
行く前にヤマトヤシキのデパ地下の閉まるほんの3分ほど前になんとか寄ることができたのでまたまた小松原豆腐店のスタンダードのほうの絹こしを買い占めといっても5丁やけどね。それ持って姫路駅から電車乗ってabuはちまでやってきました。でっいうものアサヒスタウト、最近がぶっと飲んでもてスタウトの味わい忘れとんような気がするので今度はちゃんと飲んでみよう。
意味もなくちょっと撮ってみました。ちょっと間したら、A君がやってきてなんか久しぶりやったのでえらいはなしこんでしまった。でっ、あんまり記憶ないんやけどなんとか姫路行きの終電に乗ることができて姫路まで帰ってきました。晩メシはいつもの「兵庫軒」です。ないしょやけどチャリを違法駐車しとったのでそれで久保町まで移動「兵庫軒」に到着。11時までに帰ってこれるんやったらちゃんと駐輪場にとめんねんけどなぁ。(^^ゞ
もうこんな時間ですね。
でっ、酔うとって「天ぷらラーメンの大盛」たのんでからさらにこんぶのトッピング追加注文しとったみたいです。ぜんぜん覚えてないぞ。(^^ゞ
お客さん他におらんかったんかなぁ。いろいろ写真撮ってますね。
で、豆腐町の元踏切のとっから飾磨街道をひたすら帰ったのですが、なんかふらふらやったみたいです。豆腐はちゃんとというか姫路帰って来たら気前よく3丁配ったみたいで2丁になっとったけど、チャリの前かごにいれとったら振動でつぶれていややから手に提げて帰ってました。亀山のへんやったんかなぁ。なんか左にふらついて電柱にヒットしてそのまま右にこけてしまった。(>_<) 豆腐も2丁のうちの1丁はなんか容器に穴が開いてもたみたいです。なんとか帰って豆腐みたらヤマトヤシキのレジ袋が水浸しになってました。1丁は無事やったのでそれはそのまま冷蔵庫に入れて穴開いてもたほうは、水切ってそのままレジ袋にいれたまんま冷蔵庫にいれといたら次の日嫁がちゃんとレジ袋から出して直しといてくれたみたいです。風呂はいるときは、なんか右のひざすりむいとうやんと思てそのまま風呂洗ろてなんもなかったでぇみたいな顔で寝とったんやけどあくる日朝起きられへん。なんか打撲してしんどい。結局、右手の中指がなんか、でこなっとって、左の脇腹の上の方肋骨が痛い、ひょっとして折れたんやろかとつついてみたらひっついとうみたいやからただの打ち身なんかなぁ。でも年っしゃなぁけっこう痛い。(>_<) 飾磨街道でこけた時は、後ろから車きとったら終わっとうやん思いました。痛とうて起きられへんし、なんぼチャリでもよっぱらい運転はあかんわ。今度から押して帰えろ。ポリにつかまってもしゃれならんしなぁ。(^^ゞ チャリみたらなんとかからだでカバーしたかいがあってほとんど無傷でした。そのままぼってっとよこに立ちごけしただけやったんやろか。いやでも胸強打して息苦しかったしなぁ。ようわからん。
ので、日曜の晩のアテは小松原豆腐店の豆腐。ほんまは、なんか下の娘が「よりよい」いう焼き肉屋に行きたいいうて行ったんやけど満員で1時間半待ちとかで「唐々一番」にいって唐々鍋は食わんと焼き肉だけちょろっと食ってきた。やっぱ焼き肉はちょろんとでええですわ。(^^ゞ
これは、最初の1丁やけど、そないに形くずれてないやろ、はやけど水がでてもとってちょっと固なっとった。
醤油がガラスの醤油差しにちょろっとしかないので入れとこ思たら、ふたがかたまってとれんので洗わんととれんと思たんでそのまま醤油のペットボトル出してったら小豆島の「マルキン醤油」でした。これえんやんと思て嫁に「今度もこれな」いうたら、ちょうど前の醤油がのうなった時に「ラムー」にたまたま行って買うてきたらしい。やっぱ岡山の会社やから、小豆島の醤油なんかなぁ。リバシティには売ってないなぁ。「丸金たまつぶし」(←覚えとう人おるかなぁ(^^ゞ)ではのうて「マルキン醤油」です。
会社の先輩に小豆島出身の方がおられるのですが、いっぺん、帰郷したときに一斗缶で買うて帰ってくるいう話を聞いたことがあるなぁ。ナチュラルな味でええですよ。
「小豆島の伝統醸造」このコピーのあとに500年前から製造うんぬんと書いてあったような、、、。
そして、日曜のあわ
下のがふで箱の中の定規を貸せと行って40年以上前の小学校1年の時に使ことったふで箱を出してきました。ピラミッドの前にラクダというなんともわからんモチーフのついたふで箱でしょ。ヤマトヤシキで買いました。買うてくれた人は他界してますけどね。それ考えたらあのときから40年も寿命がなかったってこっちゃなぁ。先月13回忌したからなぁ。人間の寿命いうて儚いもんですね。(^^ゞ
当時、マグネットで閉まるふで箱は、出始めでめずらしかった。1年たったらもっと派手な金庫みたいに数字あわさなあかへんふで箱とかマグネットの鍵のついたふで箱とかでてくるんやけどね。象が踏んでもこわれないいうふで箱があったんやけど踏んでいったらめげへんけどびよーんといがんでまうねん。(>_<) わたし的には、セルロイドの二段になっとって下が引き出しのが今でもあったらええなぁと思う。家のどっかに残っとりそうやけどね。(^^ゞ
1年4組でした。これは、前も言うたけど、わたしらの学年は、4組あって1組に4月から6月生まれ、2組に7月から9月生まれ、3組に10月から12月生まれ、そして4組は早行きの子になってました。そういや1組の子らみんなでかかったもんなぁ。それに、わたしが40年間ほど、4組は早行きでその他のクラスは、それ以外の月の生まれの子らが適当にちらばっとんやと勘違いしとったんやけどね。2000年の同窓会で友達に「なにいうとんのど今頃」と教えてもらいました。この話でてこなんだら死ぬまでそない思とったんやろなぁ。(^^ゞ このネーム入れてくれたんはオカンかな。
時間割もオカンが書いてくれたんかなぁ。学年体育が「がくねんたいく」になっとんなぁ。(^^ゞ これも最近まで思いこんどったんやけど、1年生いうたら毎日4時間目まででげっちょうから金曜までは、給食食て掃除してハイさようならやと思とったんやけど5時間目の授業がある日があったんやなぁ。あっても図工やけど。(^^ゞ
下のは、三角定規はわかったみたいやけど分度器がなにするもんかわからんかったみたい、はやけどこないに角度測るんやいうて教えたらなんとか使ことったぞ。最近、DSとかばっかりやっとうから、知恵の輪みたいなパズル買うてきてやらしたらちょっとはまっとうみたい。やっぱマニュアル読まんと操作方法わかるようになるんも訓練かもしれんけど、パズルで頭つかうんもたまにはええとおもいます。
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