宝暦何年とかいうとったから徳川の時代に亡くなった先祖らしいです。でっ、法要の時にいろいろ御上人が話ししてくれったったみたいでいままで疑問に思とったことがちょっとだけ氷解した。今度は来年の二月におじさんの50回忌があるからその時によう聞いてみるつもり。
これは、今の妙諦寺が開基した時の御上人から授かった曼荼羅。
お寺とあわせてこの村に四幅あるらしい。開基したんは明治に入ってからやからそれまでどないしとったんかと聞いたら宇佐崎にあるお寺(常住寺?)にみんないっきょったらしい。それで明治の廃仏毀釈のまっただ中になんとか宇佐崎までいかんでも中島にも法華のお寺をということで中島(写真にもあるようにその時は「下中嶋村」ですね)の三人の人が明治天皇にお願いに行ったらしいですわ。そやけどそんな法律ができたとこにそんなお願いに行っても許してもらえるわけないわなぁ。そんで何回か行ったというか三回目にそないに熱心にいうんやったらつくってもええでという許可を明治天皇からもろたという話しらしいです。簡単に言うてまうけどなんかいろんなとっから手まわしたり金が動いたりしたんやろなぁ。さすがにもうこの時代はたたらやないやろけど中島みたら結構、鉄関連あるんやなぁ。たぶんそんな名残は絶対にあるやろと思う。
いままでなんでお寺の曼荼羅よりうちの曼荼羅のほうが幅が広うてりっぱなんやろと思とった謎もこれで解けました。この三人の活躍がなかったら開基もなかったってこっちゃね。また来年の法事までにいろいろ疑問がでてきたら聞ける人が生きとううちに解決しとこ。おじいのとこはこないして過去帳もちゃんとあるからようわかるけど、親父の家のほうは過去帳は疎開さす二日前に姫路大空襲でお寺のも家のも両方焼けてもたんもあってなんかようわからん。なんか和田岬にもお墓があるし、木村という家があってどっちが本家なんか分家なんかもわからんし、というたら家島本島に正田いう名字帯刀をゆるされとったというどういう繋がりの親戚かわからん代々教育者の家もあるしなんかわからんことだらけたぶん知っとう人も歳やから早いうちに聞いとかんとなぁ。
庭のオルタンシア
ワンデーチケットは転売できんかったらしい。まぁそんな下品なことしたことないけど
これなんやけどね。
裏の注意書きには「持参人1名様に限り有効です。」とのことなんで誰が使こてもええんやと思とったら約款できまっとったらしいです。これは文言かえとくべっきゃね。
おかしいというと、なんかサッポロ黒ラベルの炭酸量が多なっとうような気がする製造年月見てもそないに古ないけどいっときイオンに置かんようになったんがえらい疑えるようになってきた。フレーバーはかえるもんやと思うけど炭酸量はなぁ。ええかげんな舌の思い過ごしやったらええけどね。
しょうもないこと言うた口直しに今が旬の小惑星「イトカワ」、、、なんのこっちゃ(^^ゞ
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