いっつもやったらこの納骨堂の前で読経があんねんけど雨なんで本堂でやっとうみたいです。遅れていっとんのでもう中には入らんと外で待っとくことに。
去年までは、関電の社宅も取りつぶされてもろに山電は見えとったけどもう今年は宅地になってもて家が建ってきてます。この屏と新築の間には農業用水路があります。そないしとう間ぁにオカンが本堂からでてったんでとりあえず納骨堂の後ろから入っておじいの骨壺拝んでとりあえず家に戻った。昼メシ食てからこんどは姫路のほうのお寺にいくことに。いっつもやったらオカンが山電で姫路でてバスでいっきょったんやけど、なんや市バスがのうなって神姫バスになってから本数が減って便利わるなってもたらしい。ので行けるときは車でいこかいなということになった。ほんで今回は下の娘が是非ともいきたいということでオカンと三人やと思とったら上の娘もいくいうことで結局4人でいくことに。よう考えたら下のは行くん初めてやからいっぺん行ってみたかったんやろね。
とりあえず、お寺の裏の駐車場に止めよ思たら満車でこれは待っとられんでということで表まわってみたけどまたまた満車と思たけど左右10センチずつぐらいの余裕のとこすり抜けたらなんとか奥にほりこめそうなとこあったんであたったらごめんな(^^ゞいうことでそこにほりこんで山門にやっとこさやってった。五色の幕は施餓鬼のしるしやね。(^^ゞ
圓修山妙行寺。
こういう縁起のお寺です。姫路市の教育委員会がこんなんこさえとんねんなぁ。
水汲んでお墓の前に。下の娘が水掛けるいうてかけるんやけど最後にひしゃくでコンコンと墓石をたたくんで「やめんか」と言うとうとこですね。(^^ゞ このお墓は21世紀に入ってから建立したんやけど前のお墓は江戸時代の年号がはいったボロンチョのお墓やった。そんでもって二基あったのが本家とか分家とかのお盆とお彼岸のお墓参りにしかあわへん家のおばぁさんが勘違いしてうちの墓の一つを自分とこのお墓に統合してもたいうんがあって先祖の骨もどこにあんのかわからんので早よあたらしい墓つくろかいうことになっとた。ちょうどそのころ同窓会があって墓つくったるでいう同級生が建ててくれました。
境内にある道祖神。のような、、、
というより、お坊さんやね。
こっちはソロです。
なんかええ顔してますね。
もうひとつ
これもやさっそうです。
さらにもうひとつ。(^^ゞ
施餓鬼の順番まっとう間にこどもら連れて有名な人のお墓の見学に。
磯部賀堂。詩吟の賀堂流の創始者のお墓ですね。命日なんかよう知らんけどこの前でようけの人が吟じる催しが年に一回あるらしいです。
磯部家の家紋。
ようわからんので近所にあった賀堂さんの本家か分家のお墓撮らしてもらいました。丸に九枚笹。
こちらは観音さん。
雨垂れのとこに
めだかがいました。なんか45年以上前に見た高野山のロープウェーのとこの水たまりにおる金魚思いだしました。
桜も蕾が。
もう咲いて散ってもたころやろか。
えらい下のほうから枝がのびとう松です。
境内にある坊のひとつ。なんやらお経の研究するとこらしい。
なんやら万葉仮名で書かれた和歌。「そらのあおや うつしてちれる くすのはの ひとつやひろい ふたつやひろう あけみ」ですか。ようわからんけどえええ歌なんやろ(^^ゞ
とりあえず。お彼岸の行事終了でお城の前通って結局ヤマトヤシキで絹こし二丁、ハトヤで上天二枚のえび天二枚買うて帰りました。
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