ロータスJPSクラブの会長が、会社に商品を受け取りにきてくださいました。
しかもロータスヨーロッパで。(^^ゞ
「今日は、ついでやからヨーロッパできた。」ということでびっくり
うちの会社の前の駐車場、セヴンやったら人間が乗ったまま止めるとほんのちょっとの段差でもベルハウジング打つんよね。なのでいっつもセヴンから降りてから手ぇで押して駐めよったからちょっと心配になったんやけどヨーロッパは大丈夫やったみたい。
なんちゅう名前か知らんけど横の白い車とくらべても低いよなぁ。(^^ゞ
理屈抜きにかっちょええよね。(^^ゞ
車高1メーター9センチやったっけ、全長4メータージャスト、振り回すにはちょっとおっきいのんよね。せめてセヴンぐらいでないとわたしにはムリ(^^ゞ
ヨーロッパのかっこええとこは、ミジップでありながらノーズが長いとこ、こないなミッドシップってないもんなぁ。いやぁやっぱええわぁ。最初に見たんは、雨の大阪環状線。親父の運転する車のナビシートで振り向いたら茶色のヨーロッパがおった。やっぱかっこよかった。
「セヴンタイムズワールドチャンピオン」のエンブレム、いっつも会長と話に上がるんやけどこのヨーロッパいう車の最後のロールアウトは1975年、この時点でチーム・ロータスは6回のコンストラクターしかとってないねん。ジム・クラークで1963年に最初のコンストラクターズチャンピオンとワールドチャンピオン、ほんでもっぺんジム・クラークで1965年に両方のチャンピオン、1968年は、グラハム・ヒルで両方チャンピオン、
1970年は、もうこないなことはないいうような悲劇の両方チャンピオン、1972年には、アロンソにやぶられるまでエマーソン・フィッティパルディの史上最年少チャンピオンで両方のチャンピオン、ここでなんぼや、(^^ゞ 5つか、その次の年の1973年は、ジャッキー・スチュワートがチャンピオンとるんやけど、エマーソン・フィッティパルディとロニー・ピーターソンが勝ちまくってコンストラクターズをとって、これで6回め、ロータスヨーロッパを売っとった1975年までにコンストラクターズチャンピオンをとったんはこれだけ、そのあと1978年にマリオ・アンドレッティがワールドチャンピオンとってコンストラクターズもとる、ロータス最高で最悪の年。なのでこのエンブレムは1978年以降にそん時のオーナーさんが勝手につくってつけたんちゃうかなぁということ。
エンジンルームも見せてもろた、オーバーホールしたてのロータスツインカムビッグバルブ。ひさしぶりに見せてもろたらイメージよりもミジップ寄りでエンジン位置も低いんやなぁ。なんかこないなん見せられたらええやん、ヨーロッパって思てまうんよね。でもまぁ今更ヨーロッパ使いになんのもなぁ(^^ゞ 今はちょっと企んどうことがあって、うちのサイドカー復活させて、下の娘が中学になったらドライバーとパッセンでサイドカーレースは無理やとしてもサーキット走行したいなぁということを企んどんのやけど。(^^ゞ
颯爽と帰っていかれました。こっからはちょっとしか写ってないけどリヤのシフトリンケージ、見る限りでは、スッパときまりそうに見えました。
会長、用事のときはこんどもヨーロッパできてな。(^^ゞ
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